書評4

40

対象書名:酒井潔・佐々木能章監修ライプニッツ著作集第Ⅱ期1『哲学書簡ー知の綺羅星たちとの交歓』工作舎、8000円(税別)

一七、一八世紀を通じて、ライプニッツほど往復書簡を書き続けた知識人はおるまい。文通相手は一六カ国、一六〇都市の一三〇〇人、哲学書簡一〇〇〇通など計二万通に及ぶ。評者(金子)が分析した世界初の学会・ロンドン王立協会事務総長オルデンバーグの通信空間でさえ、その数は遠く及ばない。本哲学書簡集は、その学問形成に重要な役割を演じた九人、五二通を訳出、監修者や訳者による懇切な解説を配して、読みで十分である。

まず冒頭の、ライプツィヒ大学時代の信頼する師トマジウスとの書簡(四通、送3受1、一六六〇年代の足かけ六年間)からは、二〇代前半の野心家を突き動かす濃密な反デカルト主義と親アリストテレス主義が浮かぶ。とりわけ研究計画を語る第四書簡が重要だ。

ライプニッツに言わせれば、スコラ哲学から脱却しようとした改革派には、アリストテレスを排斥した「愚かな哲学」(パラケルスス、ヘルモント)、古きも新しきも疑い捨てた「大胆な哲学」(デカルト)、アリストテレスとの調和を計る「真の哲学」と三つあるが、もちろんライプニッツは「真の哲学」を目指す。その上で、聖書・理性・経験によって証明される全キリスト教的真理を示すことだ、と述べている。後のハノーファー選帝侯妃ゾフィー宛て一七〇五年書簡には、モナド論によって「真の哲学を樹立した」と自負している。真の単一体モナドは非物質的、不可分不滅な魂であり、一即多を表現する実体だ。「神はその魂の建築家」、デカルト・ニュートンの「神は無為」とする原子論者の原子(=微少な硬い粒)とは大違いだ。波即粒子の現代素粒子論世界は、モナド論の系譜にあるかも。

第一部「学者の共和国」では、トマジウスに続いて、ホッブズ(二通、送のみ、一六七〇年代前期の五年間)、スピノザ(三通、送1受2+資料2、一六七〇年代の八年間)、初期アルノー(一通、送のみ、一六七一年)、マルブランシュ(一七通、送11、受6、資料2、一六七〇年代から一八一〇年代の三七年間)、ベール(一〇通、送8、受2、資料1、一六八〇年代から一七〇〇年代にかけての一六年間)、が並ぶ。無名のライプニッツがホッブス、スピノザという大家を踏み台として脱皮し、デカルト主義の論敵マルブランシュ、ベールに持論をぶつけるさまは迫力十分。後半の第二部「サロン文化圏」でのお相手は、みな高貴な知的女性。だからといって甘い話などない。選帝侯妃ゾフィー(五通、送のみ、一六九〇年代から一七〇〇年代初頭の一〇年間)、プロイセン王妃ゾフィー・シャルロッテ(三通、送のみ、一七〇〇年代初頭の三年間)、晩年のロックが寄宿した英国のマサム夫人(五通、送3、受2、一七〇〇年代初頭の二年間)である。半素人に自説を説き吟味し直しているから、ライプニッツ学入門にもなる。こちらを先に読んでもよい。

「哲学者にして数学者」という自負が、ライプニッツに数学的例解を好ませた。アルノー宛て正義論で、「助けることは掛け算、害することは割り算」もその一例だ。ゾフィー候妃に、デカルト説を批判して、「実体たるモナドである魂は多を表現する身体と合一する」、と説明するさい、二直線で中心Aを挟む扇形図形を示した。二直線の広がる傾き角(多である延長的性質)を広がらない中心点A (一である実体的モナド)が表現する、と。神の建築術は「原理は単純、表現は多様」、ライプニッツが重視する原理は「斉一性の原理」(いつでもどこでも同じ)と「充足理由律」(存在するには十分な理由がある)だ。魂の本性や神の存在を破壊する物質主義者には手厳しい。魂は死なず、今生の記憶も保存、想起される。王妃シャルロッテ への手紙で、ユングの集合的無意識を先取りしている。

真理の必然性は、感官や経験によって示すことは出来ない。この自説を、イギリス経験論の祖ロックと戦わせたかった。自説を敲き固めるのに、論敵の力を活用する。この生涯にわたる戦略と願いは、晩年のロック庇護者マサム夫人との文通となった。

デカルトーニュートンの運動量学説とホイヘンスーライプニッツの活力学説との熾烈な活力論争は、本書でもベールとの往復書簡に記録されている。しかもその第二書簡を見ると、結果と原因の充足理由律が活力説の説明になっているのが面白い。ただしこの論争は、ダランベールの調停(一七四三年)によって、視点の違い、力の作用時間か、作用距離(仕事量)かの違いで両論並立となった。このことは注記に欲しい。

この書簡集は、編集者十川氏の執念と入念な作業(巻末の人物・事項索引にも明らか)に支えられ、ライプニッツ学会関係者の熱意と能力によって実現した。日本語で、これだけ高度な思想的格闘を読めることに感謝したい。私たちは、本書によって、一七世紀科学革命期の知の巨人が日常的に格闘する思索と対話の現場に立つことになるのだから。

39

対象書名:上山明博著『「うま味」を発見した男』PHP研究所、1,700円(税別)
掲載紙 :『公明新聞』2011年8月29日号文化欄

味の素発明者、池田菊苗の評伝小説である

「御一新の風」から「レイリー散乱の空」までの人生劇全八幕を、科学的精確さも保ちながら物語る。 評者は力量のある先輩化学史家・廣田鋼蔵氏の著作な どで、東大教授の副業的所産の発明が私設助手と自宅研究室で遂行されたことなどは承知していたが、本書の白眉は、菊苗が「ロンドンの漱石」と53日間に及 ぶ同宿生活で、自由に論じあった有名な「事件」の詳細である。

菊苗の骨太な、マッハやオストヴァルト流の感覚一元論とともに語られる科学認識論が、漱石の英文学研究に大きな触媒になった、と上山氏は活写する。これ は、1901年(明治34)、20世紀初頭に文学と科学の異分野を貫いて起こった希有な出来事であるから、「事件」と評者は見る。

味の素の共同特許人になる二代目鈴木三郎助の登場で、製品化が成り、菊苗の念願、日本人の栄養改善と体格の向上への一助につながっていく。 特許権成立 後間もない1908年(明治41)夏、その決定的試食会が、上野・静養軒や帝国ホテルと並ぶ西洋料理の名所、銀座の凬月堂二階で開かれる。その第五幕「食 道楽の晩餐」が、もう一つの見所である。

昆布の下地とばかり思って高級フランス料理を楽しんだ評論家・天皇料理人といった達人たちの舌が、菊苗が取り出したうま味成分、〈第五の味〉グルタミン 酸ソーダ、商品名「味の素」の振りかけにだまされる場面である。怒りと無念さが飛び交う緊張の場面が、一転、了解と賛嘆の渦にかわる。小説でしか描きよう のない感情と理性の揺れが描かれる。

莫大な特許料を手にした晩年の菊苗は、ドイツのライプチッヒや日本で、触媒など、化学反応の基礎研究にあたった。これは、今日の野依良治・鈴木章・根岸 英一らのノーベル賞受賞研究の先触れになった、と評価される。

38

対象書名:ウォルター・アイザックソン著(二間瀬敏史監訳、関宗蔵・松田卓也・松浦俊輔訳)
「アインシュタイン、その生涯と宇宙」上・下2巻 武田ランダムハウスジャパン刊、2,000円(税別)
掲載紙 :『東京(中日)新聞』2011年8月21日号文化欄

アインシュタイの伝記は数多い

しかし科学から政治・私生活まで、多岐にわたる天才の人生を包括するモノは少ない。本書は76年の生涯を全25章に分け、目新しいエピソードも盛り込ん だ年代記である。熟達したジャーナリストの筆致と、著名な専門家たちに助言やチェックを頼むという用意周到さで、避けて通れない科学記述の多くも無難であ る。1905年のアインシュタイン奇蹟の年(特殊相対論など三大論文の発表)には、ポアンカレもローレンツも十分近づいたのだが、アインシュタインのよう には、従来の思考(先入観)を投げ捨てるだけの勇気と反抗心を持ち合わせていなかった。

この型破りな態度は彼の人生の諸段階にも発揮される。ギムナジウム中退の決断、大学への就職活動の失敗、学生仲間との結婚、婚前誕生した女児リーゼルの 運命は本書でも不明だ。アインシュタインが最初の妻と離婚し、年上の従姉エルザと再婚するさい、アインシュタインがその連れ子の長姉イルゼとの結婚も考え ていたことを示唆する驚くべき書簡が出てくる。イルゼの宛先は、女癖の悪いベルリン大学医学部講師ゲオルク・ニコライ(ニコライ・アインシュタイン反戦宣 言で知られる)宛てだから、男の気を引く細工だった可能性もある。再婚後も女性関係に忙しい。代々の秘書や金持ち未亡人たち、エルザの悩みは尽きない。じ つは、訪日旅行に発つ9月に、ノーベル賞受賞の件をスウェーデン当局から知らされていた。戦後イスラエルの二代目大統領就任の打診は頭から断ったが、断ら れた首相もほっとしていた。

本書で残念なことがある。1922年、半年にも及ぶ訪日アジア旅行はアインシュタインにとって世界市民意識の確認につながる契機になるものだが、この記 述がわずか一頁で片付けられていることは、旧来のアインシュタイン伝でも見られぬことである。

37

対象書名:アーサー・I・ミラー著(坂本芳久訳)
『137ー物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯』草思社、2,300円(税別)
掲載紙 :『週刊読書人』2011年2月25日号

2人の思想的心理的交錯、量子力学と深層心理学の狭間に挑む

数137は怪しげな素数である。素電荷eと光速cと大きさのプランク定数hという三つの物理定数で記述される原子の微細構造定数である一方、ヘブライ文 字の数価の総和に等しいなど、数秘術のお気に入りでもある。もともとドイツ物理学の父ゾンマーフェルトが元素のスペクトル構造解析で見つけた。本書は、こ れらの数に魅せられた天才物理学者パウリと超心理学者のユングが同時的に交差しながら、量子力学と深層心理学の狭間に共同で挑んだ希有な記録である。すで に邦訳もある共著『自然現象と心の構造』で一部は知られていたが、優れた科学史家が全一五章にわたって博捜し解明したこの二人の、長い思想的心理的交錯 は、20世紀という時代の深層思想を読み解く手がかりをも示していよう。

二人が出会うのは、1932年1月。それまでに注目されるのは、ウイーン学派の父祖で反形而上学の実証主義者エルンスト・マッハの影である。ウィーン生 まれのパウリの代父は父と付き合いのあったマッハであり、その記念にもらった銀製ゴブレットを、パウリは一生大事にした。一方、スイス人ユングが1907 年に19歳年上のフロイトをウィーンに訪ねて、精神分析創立の二人の交渉が始まるが、フロイトの性衝動重視のリビドー主義はマッハ的科学の影響下にあり、 ユングはこのマッハ科学を意識しそれに距離を置いて、畏れと魅惑の感情であるルミノーシスの結節点にある、元型と集合的無意識に立ち向かう。

パウリはミュンヘン、ハンブルグを経てチューリッヒに赴任した。郊外ツォリコンのパウリの家からユングの家まで、わずか二駅である。パウリは、アイン シュタインも自分の後継者と認めた天才だが、相対論と量子論にまたがる辛辣な批評家で、深酒の夜型徘徊人間。ハイゼンベルクの不確定性原理の確立も助ける が、彼が現れると実験道具が壊れるという「パウリ効果」の伝説もある。ボーアの原子模型を批判して、半整数1/2の第四の量子数(やがてスピンと命名)を 導入し、いわゆる「パウリの排他原理」を樹立していた。量子数は三つでなく四つとしたパウリは、17世紀の三を完全数としたケプラーと錬金術の四を重視し た神秘学者フラッドの、三か四かの論争に習熟していた。

一方、25歳年上のユングは「タイプ論」で、心的類型に外向と内向と二つあり、さらに対をなす思考と感情、直感と感覚の四つの機能を明らかにした大家で ある。四その他の数のトラウマや母の服毒自殺を経て、患者パウリがユングの精神分析を受けるのには、運命的なものがあった。ユングは女弟子を通してパウリ の夢から宇宙時計の夢など、400例を取り上げて分析した。ユングのマンダラ図にパウリが手を加えたマンダラ図も遺っている。ユング通いは、再婚した妻の 主張で中断されるまで、5ヶ月つづいた。

ユダヤ教徒になっていたパウリは、ナチス・ドイツからアメリカに脱出、1945年のノーベル賞受賞後、チュウーリッヒに復職して、ユングに再会、女弟子 フォン・フランツとの出会いがある。「イメージ形成は意識と無意識の同等の関係を回復するのに有効」とするユング派の思想が、パウリ晩年の、物理学の根本 的対称性の回復を告げるCPT定理の確立とも暗合する。137号室で死んだパウリの夢、「ピュシス(自然)とプシケー(心)を同じ現実の相補的側面と見な したい」という願いは、また現代の課題でもある。

36

対象書名:ジェームズ・ロバート・ブラウン著(青木薫訳)
『なぜ科学を語ってすれ違うのか』みすず書房、3,800円(税別)
掲載紙 :『東京(中日)新聞』2011年1月23日号

科学と哲学にまたがる病根

科学ってすごいね、というのが大方の見方だろう。予測性・説明力・精確さで、真実一路、並ぶものなき近代化の模範生。ノーベル賞科学者以下科学陣には誇 り高い勲章である。ところが対岸の文化的思想界では、ポスト・モダンのデリダやラカンらを前衛として、価値中立的な客観的実在的真理などなく、あるのは ローカルな視点で相対的真理のみ、科学研究も社会的利害関係抜きなどあり得ない(知識の社会構成主義)と批判してきた。

半世紀前の、スノウが提起した「二つの文化」論争と違って、現代版では、科学技術陣が体制派、文化的知識人が抵抗派に逆転している点が大違いだ。さらに ポスト・モダン派の主要誌に、物理学者ソーカルが1996年、難解な脱構築の戯画論文を投稿、それを見破れずに掲載した編集部がコケにされた。このソーカ ル事件以降、抵抗派は分が悪い。事件に追い打ちをかけて、ニーチェ以来のニヒリストの言い草、と悪罵すればすむ話ではない、と著者が仲裁人になったのが本 書である。もともとポパーの合理的反証主義、クーンのパラダイム論、ファイアアーベントのプロパガンダ論といった科学哲学畑の認識戦争が思想界に燃え広 がって、科学の身分をめぐるサイエンス・ウォーになってきた事情も、手際よく述べる。

ソーカル事件の波紋は、科学と哲学にまたがる両陣営の病根を浮き出させた。量子論とカオス論がお気に入りの思想家たちも科学用語の誤解が多く、基本的な 理解力が疑われる。一方の科学畑は素朴な実証主義を崩さない。著者は、大学の営利化など、社会構成主義の言い分にも十分な配慮と理解を見せる。IQや人 種、ジェンダーやエコ論争などを例示しながら、エセ科学を排し同時に科学理論の多様性、多元主義を強化することが有効だとする。第二のスノウとして、二つ の文化の狭間にある問題点を提起する力作である。

35

対象書名:アミール・D・アクゼル著(林大訳)
『神父と頭蓋骨ー北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展』早川書房
掲載紙 :『東京(中日)新聞』2010年7月25日号

進化論にかけた発掘の半生

テイヤール・ド・シャルダン、進化論と信仰を統合したフランスのイエズス会宣教師、主著は『現象としての人間』。忘れられた思想家である。

神父にして古生物学者、探検家。持論の、物質圏・生命圏・精神圏と分岐・複雑化する進化論を実証しようと、意気込んで北京原人研究チームの主要人物に なった(発見者ではない)。その脳容積を推定、火の使用を明確にし、ジャワ原人と同一種のホモ・エレクトゥス、と断じた功績は大きい。人類化石骨研究の草 分け的存在で、旧人ネアンデルタール、現世人クロマニオンの前、4、50万年間を闊歩した原人時代を研究、確立した。幅広い人類学研究と耳目をひく好男子 ぶりに世評は高く、追っかけ女性も出た。

本書は、ベッド脇にイエスとガリレオ像を置く、はみ出し神学者の興味深い発掘半生記である。人類精神圏の究極オメガ点への進化と信仰の一致を願っていた が、ヴァティカンやイエズス会からは、地霊や進化論を肯定する異端傾向が監視され、論著刊行はつねに不許可、コレージュ・ド・フランスの古生物学教授職就 任も妨げられる。パリやローマの西欧中心部から繰り返し放り出されては文明辺縁部に流亡し、かえって中国・アフリカの発掘現場を探検できたし、女性を含む 忠実な協力者に事欠かなかった。

いま600万年前に遡る猿人研究が急ピッチで進む。国際研究チームが組まれ、東大諏訪元教授の名が輝くが、本書でも北京原人の化石骨行方不明(現在も) 事件に長谷部言人の日本人名が出てくる。ただし悪役だ。評者は生前の長谷部やその弟子渡辺直経から聞いていたが、日本軍部容疑は濡れ衣で、米海兵隊駐屯地 の一角から消えた責任は中国と米国にあるはずだ。

思えば、北京原人研究は1926年に発足、グスタフ王子の肝いりで、スウェーデン・カナダ・フランス・中国という国際チーム研究のはしりとなった。その宣伝役がティヤールだったのである。

34

対象書名:マイケル・ブルックス著(楡井浩一訳)
『まだ科学で解けない13の謎』草思社、2010年4月出版
掲載紙 :『東京(中日)新聞』2010年5月23日号

書評『まだ科学で解けない13の謎』

こりゃおかしい、へー、知らなかった、という悩ましい科学の謎13を、当事者の取材をとうして纏めたドキュメント。どれも物理学、天文学、生物学、医学 にまたがる大問題で好奇心を大いにそそられるが、危うい話題性に富み、事業仕分けの対象にもなりそうなものばかりだ。

いわく、暗黒物質はホントにあるのか、二種の宇宙探査機パイオニアの軌道異常は物理法則の破れを示すのか、重力は昨日と明日では変わらないのか、常温核 融合はホントに起こったのか、何を生命というのか、ヴァイキングは火星に生命を見つけたのか、あれは宇宙人からの一回かぎりの信号だったのか、あの巨大異 形ウイルスが全生命の共通祖先なのか、なぜ生き物は死ぬのか、なぜ生き物はセックスにこだわるのか、自己責任というけど自由意志ってないのでは、偽薬(プ ラシーボ)効果の効果的利用法は、同種療法(ホメオパシー)は魔術じゃないのか、など。

著者はなかなかの硬骨漢ジャーナリストだ。新たな科学革命は、もうわかったことからではなく、わからなくて異例であるとしてはじかれてきた問題から生じ るのでは、という信念から問題に迫っていて、好感が持てる。際物めいた筆致を避け、十分にクールな論理を貫いているのもよい。

それにしても挑むテーマは、まともな科学者なら二の足を踏むような大胆不敵な研究領域で、多くは研究費をカットされる憂き目も見ている。

常温核融合の実験結果を公表して世界を驚かせ、しかしいまや魔女狩りの対象となってしまった二人の科学者にインタビュウして、革新の芽を読み解こうとし ている。きわどい話題は終章の同種療法。起因物質なるものを、「類似の法則」と称して、繰り返し希釈・振とうして治療薬とする。この錬金術起業家の現場ル ポと、問題は起因物質でなく解明不十分な水の存在形態の多様性にないのか、との示唆が面白い。

33

対象書名:野中正孝編著『東京外国語学校史』不二出版、2008年11月出版
掲載紙:『週刊読書人』2010年1月29日号

生涯を括った執念の一冊・追悼野中正孝氏

いま私は、1600頁を超える『東京外国語学校史』(不二出版、2008年)を前に溜息をついている。分厚い。1頁1000字。が、それ以上に、この編著 者・野中正孝さんが、宿痾と闘いながら過ごしたこの数年の、孤独な作業と思いの深さに打ちのめされるのだ。みずから全文打ち込みし、小見出しをつけ、全頁 割り付けで印刷直前までに仕上げた。千恵子夫人(同窓生)のお話では、ワープロ1台をつぶし2台目になった。野中さんは、生涯を括る執念の出版1年後、昨 秋11月に逝った。享年76歳。

私は同じ鎌倉に住み、勤め先の京橋界隈でも横須賀線でも、よく飲みよく語った同僚であった。駅近くのお宅で、退社後、10年以上前から、母校の同窓会史の 記念出版事業に取り組んでいた彼の口から、「発見談」を聞くのが楽しみだった。東京外語大100年史編纂を補完するものとして、17専攻語学科の同窓誌稿 や卒業生の寄稿を併せ編纂するのだが、原稿の集まりも悪く、精粗があり、戦前卒者の寄稿も少なかった。そこで提供データを手がかりに、全面的に取材・執筆 し直す歴史家兼編集者の作業に忙殺される一方、急性心疾患などで入退院を繰り返していた。

それでも楽しそうであった。とくに、欧風全盛に反発した中国通の川島浪速や宮島大八 (詠士) に入れ込んで、詠士書道展にも出かけた。本を見ると、清末の碩儒・張廉卿に私淑した詠士の中国留学 (計7年) に一一頁も割き、私が墓碑写真を進呈した長谷川辰之助 (二葉亭四迷) の記述、8頁分を上回る。後のドン・キホーテ翻訳者・長田寛定のスペイン文学史には、ナント21頁、巻末のシベリア抑留詩人・石原吉郎には8頁。このよう に知的好奇心を噴火するところが面白い。しかも手堅い。書中では卒業生や教師に名士が続出する。

おかげで、読売新聞初の名物パリ支局長、松尾邦之助の消息も知った。パリに来た大杉栄(在籍)に会おうとしたと松尾が書くが、身分を隠した大杉のことが新 聞に出るはずもない、と。富永太郎や中原中也のフランス語力には教師たちも警戒した。島田謹治の比較文学は外語大経験の所産かも。満蒙経営と蒙古語熱、卒 業生の就職と配置状況は生々しい。

野中さんは、不幸な中公紛争に耐えながら、仕事を自慢しない男だった。分厚い眼鏡をかけた淺黒い顔、切迫感を持って吐き出す声音、ときに激するが品格を 失わない物言い、並々でない職人気質。中公本作りの名手には高梨茂、宮脇俊三、井上太郎らがいるが、加えてこの男がいた。中公新書の立ち上げに参加し、世 界の名著や文学も手がけた。新書企画のほか、雑誌『自然』を母体とする「自然選書」立ち上げで野中さんに協力した。ロングセラー三木成夫の『胎児の世界』 (中公新書)は、私が三木さんを紹介して始まったのだが、その名物講義を芸大生に混じって聴講していた。知る人ぞ知る装丁家でもあり、フロイスの『日本 史』、マヤ神話『ポポル・ヴフ』初版、今西錦司記念論文集全3巻、などがそうである。
『東京外国語学校史』は、蕃書調所以来の明治・大正・昭和前期の語学教育史、外交史、学校史を知るのに必携、1500人に及ぶ巻末人名索引21頁は日本近 代史研究の宝になるだろう。というと野中さんは照れるかな。

32

対象書名:『ブラックホールを見つけた男』
アーサー・I・ミラー著、阪本芳久訳、草思社、2,500円(税別)、2009年8月刊
掲載紙 :「東京中日新聞」文化欄書評

年:2009.08.23

真理をめぐる不屈の挑戦

一読後、ゼウスの怒りに触れたプロメテウスの難儀を思った。明晰な論と流麗な文で、天文学の帝神エディントンの著作に魅了されたものも多いはずだ。が、 近づきすぎた天才インド物理学者チャンドラセカール(略してチャンドラ)は、学界や記念講演会で執拗な攻撃と揶揄の雷火を受ける。これが前半、後半は神々 が消え、逞しくなった天才が本懐を遂げる。ブラックホール理論の命運もかけた、受難と栄光の科学史である。

宗主国イギリスに渡った天才インド少年といえば、18歳のガンジーを思い出した。19歳のチャンドラも、発表論文5本とインド学界の期待を担って順風満 帆の船旅である。1930年夏。が、行き先はミルン、ジーンズら巨人たちも加わる戦場だった。競う主題は謎の天体、白色矮星である。

シリウスAは夜空で一番明るい星だが、軌道のふらつきから、伴星シリウスBが見つかる。地球ほどの大きさに太陽の質量が詰まった星。角砂糖1個分が大人 分の体重(最新値は1トンに)もある。しかも冷たく暗い。巨星が重力でつぶれ、やがて内部放射圧と微妙に釣り合っている最後の星の姿、とされた。かくて白 色矮星は、理論家たちの仮説とモデルと計算の草刈り場となった。

チャンドラは、海風に吹かれながら、53年後ノーベル賞を共同受賞するファウラーの論文を読んでいた。そして思いつく。星の中心部が電子ガスなら、不確 定性原理と相対論効果で電子群は光速度近くで動き回る。圧力と密度を計算した。白色矮星に限界質量があり、太陽質量程度(のちチャンドラセカ-ル限界とよ ぶ)となった。では、これに土ぼこりをまぶしたら、つまり、限界値より大きな質量で終末を迎えた白色矮星はどうなるか、と。収縮の歯止めは利かず、縮まっ て点になる!

ケンブリッジに落ち着いて2ヶ月で白色矮星論文2本仕上げた。これが序章。頑固な自信家たちに、さすがはインド人、不屈な挑戦をあきらめない。愛も不信 も、裏切りも友情も、差別も理不尽さもたっぷりある。あとは読んでのお楽しみだ。

31

対象書名:『宇宙の調和』 ヨハネス・ケプラー著、岸本良彦訳、工作舎、10,000円(税別)
2009年4月10日刊
掲載紙 :『週刊読書人』

天体運動の完璧な調和を求めて、17世紀科学革命の旗手の代表作

本書は、17世紀科学革命の旗手ヨハネス・ケプラーの代表作全五巻の、初の完訳本である。原著出版は、惑星の第三法則発見の翌1619年、30年戦争に 突入直後である。魔術愛好の庇護者ルドルフ二世没後プラハからリンツに去ったケプラーは、旧教スコットランドと新教イングランドの統一ブリテン王ジェーム ズ一世に献辞して、宗教的和解による宇宙と地上の調和を願う思いを込めた。

この表題「宇宙の調和」といい、執拗なまでも音楽理論の解明に力点をあてた内容といい、ケプラーの理論的哲学的意図がどこにあるかは明白である。的確な 訳注を参考にして繰っていけば、宇宙の調和とは、自由七科の実践的分野、算術・幾何・音楽・天文の四教を貫く調和比問題を指すことがよくわかる。

ケプラーは幾何学図形を手始めに、音楽理論の調和論に徹底的に踏み込み、占星術研究を進め、天地の光の調和を吟味してから、終章に至って、これまでの長い 宇宙的調和比論の成果の一つとして、輝かしいあのケプラーの第三法則、「惑星公転周期の自乗は平均軌道半径の三乗に比例する」が示される。第五巻結論の中 で、「調和的整序は単純な幾何学的整序に優る」という言葉で、自分の長い研究史を総括している。問題の第五巻は本書全体の四分の一を占めるに過ぎない。し かし、あの時代のケプラーの思考と時代を追体験するには、まことに希有な証言の書である。

なぜケプラーにとって調和比論が重要なのか。神の宇宙創造過程を調べる手がかりになるからである。

まず、「単純な幾何学的整序」と呼ぶ幾何学が扱う量の特質は形と比にある、とケプラーは規定する。形は個々のものの大きさ、比は二つ以上のものの大きさ の関係、である。グラーツ時代にコペルニクス理論に立って、太陽を回る六惑星の軌道関係を決める造物主の意志から、軌道半径と軌道間隔の比がプラトンの五 種の正多面体に外接内接する仕方で決まるとし、正多面体宇宙モデルを『宇宙の神秘』(1596年)に発表した。それは、本書の基本におかれつづける。しか しティコを師とするプラハ時代になると、ケプラーには、精緻なティコのデータがその「幾何学的整序」モデルに合わないものがあることに気づく。その間、火 星軌道の研究から、面積速度一定の法則(第二法則)と惑星軌道は円ではなく楕円(第一法則)を発見して、『新天文学』(1609年)に発表してきた。

一方で、古くはプトレマイオスの『調和論』、新しくはヴィンツェンティオ・ガリレイ(ガリレオの父)らの音楽理論を徹底的に読破して、音楽調和論を深 め、「可知性」の段階差と「造形性」の観点から、六惑星の軌道速度や大きさなどの調和比を探り出すのである。本書が、弦の調性や音組織、旋法、和声などを 詳細に吟味するのも、「天体運動の完璧な調和」(第五巻の表題)を求める有力な手段と見なしていたからである。ケプラーは、音階の七つの和声関係が作図可 能な正多面体に適用できることを見だしていたが、惑星の公転周期の比などを調べてもうまくいかず、最後に、距離を無視した各惑星の角速度の最大最小値の比 が土星で長三度、火星で完全五度などになることを見いだしている。ティコのデータから第三法則を見いだすのも、神が定めたとする普遍的調和比への確信が あってのことである。

最後に、これだけの原書初訳に取り組んだ訳者と出版社の労に、心より謝したいと思う。