エッセイ

2016/7/25(月)

女神アルテミスにラブコール! 古代ギリシア展を見て

女神アルテミスにラブコール! 古代ギリシア展を見て

 友人3人と連れだって上野の東博に出かけた。茶の農学とドイツ文学と建築畑とみな専門は違うが、その一人が、歩きながら、「どうして昔のギリシア人は誉れ高い人物が輩出したのに、今のギリシアはどうしたのかね」と言った。私が応じた。「今に限らず、ヘレニズム以後はばったりだね。キリスト教が毒気を抜いちゃったと思うよ。ギリシアの神々は異端視されたからね。いまのアテネで名前が生き残っているのはダフネ(ニンフ名、アポロンに見そめられ逃れて月桂樹に変身)ぐらいのものだ、と現地の案内人が言っていたね」。小生は、地中海の旅でギリシアの島々を2回巡り、ギリシア本土は2週間かけて北のマケドニアから南のスパルタまで、また現在トルコ領の旧ギリシア植民都市群をも丹念に見てきた。「ギリシアは古代が面白いよ」と請け合った、
 こうして展覧会を見たのだが、細かいが重要なものが多く、思いの外時間がかかった。午後3時から時間外延長時間の6時まで、たっぷり3時間、疲れたけど、大いに満足した。 古代ギリシアの貨幣単位「ドラクマ」が40cmほどの鉄製長串6本を「ひとつかみ」(ドラクス)する意味だと教えられた。テミストクレスなどの名を記した陶片追放の実物や、有罪無罪の評決に使う中空軸の付いた鉄円盤(大きなベーゴマほど)もあった。中空軸が空いていれば「有罪」、ふさがっていれば「無罪」で、見えないように指で塞いで投票する。あのソクラテスの有罪判決を思い起こした。アテネ海軍の主力、三段櫂船の浮彫も面白かった。復元部分もあわせると、上段に漕ぎ手の奴隷が計25人見えるが、あとは二段に渡って櫂だけが突き出ている。船中に閉じこめられた二段同数の奴隷たちが、喘ぎながら漕いでいたのだろう、とその労苦を想像した。

 とりわけ目を惹いたのは、ヘレニズム期に入った女神アルテミスの美しさだった。高さ140cmほどの大理石で、前腕部は両方とも欠損しているが、凝った髪型と清楚な顔、衣服の流れるような襞はさすが、と溜息をついた。
 私は、アルテミスには格別な思いを持っている。弟のアポロン神はデルフォイの神託を束ね、音楽・学芸の神ともてはやされるが、姉のアルテミスは、ギリシア・ローマ神話では、単なる狩りの女神にして野獣たちの主人(ポトニア・テロン)、女性たちの結婚・出産の産婆の女神に堕してしまったからだ。
 レトが白鳥に化けたゼウスと交わって、ゼウスの妻ヘレネの嫉妬を怖れて、デロス島に逃れ、双子の一人アルテミスを産み、そのアルテミスが母レトを手伝って弟アポロンが生まれたという。だからアルテミスは処女神ながら、産婆の女神ともされる。
 しかし、アナトリア半島(いまトルコがある)においては、クババ、キベーレと名を変えたが、原型は、チャタルフユックの集落跡から見つかった紀元前7000年という大地母神(アンカラの博物館にある)の系譜を嗣ぐ、最高位の女神アルテミスであったのだ。その栄光を知るものには、単に美しいあの像には、物足りなさも感じた。豊穣の女神であり、眼を引く二十数個の卵形の胸飾りは乳房ではなく牛の睾丸というが、オドロオドロしい。畏怖すべき女神なのである。

 アナトリア半島にある観光名所エフェソスに行ってみたらよい。 古代七不思議の一つ、巨大なアルテミス神殿があったところだ。後代これは建築材として崩され、いまはたった一本、その遺跡に石柱が建つのみであるが。エフェソス博物館で、この遺跡から発掘された2体のアルテミス像にお目にかかれるはずだ。
 キリスト教以前、この地はアルテミス信仰のメッカであった。精力的に異教徒を折伏したあの使徒パウロでさえも、このエフェソスの地ではキリスト教化に十分には成功しなかったのである。ここには十二使徒の最若年者、聖ヨハネが聖母マリアを伴って避難してきた地で、聖母教会もあり、聖ヨハネ教会もある。
 この地でエフェソス公会議(431年)が開かれたのも、キリストは人間か神か、マリアは人間キリストを生んだのか(ギリシア語でクレストトコスChrestotokos)、神を生んだのか(同じくテオトコスTheotokos)に決着をつけるためだった。結局、西方教会(ローマとコンスタンチノープル)はテオトコス説を、アンティオキア(シリア)のネストリウス派はクレストトコス説で分裂している。テオトコスに立つ西方教会で聖母信仰がこの後高まるのだが、それも女神アルテミス信仰の隆盛がそのヒントになったのではないかとも思う。(金子務記)


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