金子論文「仏教と自然科学の親近性ー鈴木大拙とアインシュタインの思想」(pp.327-350) 所収
帯より:アインシュタインの思考実験は天使の視点! 綱が切れたエレベーターは自由落下する。かりにこのエレベーターを、その中に入っている人ごと宇宙空間に持っていく。無重力の世界で天使が地球上の重力加速度の速さで引っ張ると、手に持っていたリンゴを落とせば、地上で落とすのと同じに落ちる。別の天使が外から見ているとすると、天使は慣性質量を測定していると考えられる。中の人にとっては重力質量、外の天使には慣性質量。同じものを測ってなにが違うか。視点が違うだけなのだ。
「はじめに」より: この本は気楽に読んでもらうことを目論んだ、旅行記もかねたエッセイ集である。毎週ある新聞の日曜版に、一年書き続けたものである。 長丁場で、しかも締切はきちん来るのだから、苦し紛れに書いたものもあるし、楽しんで綴ったものもある。深刻な話は載せなかったつもりだが、基本は、面白い、とどこかで思ったこと、見たことを書いた。平田定則さんのコラージュによる挿絵が、一段と書く私の興趣をも誘ってくれた。本にするにあたり、四本の新項目を挿絵とともに補い、表現と説明の至らざる点を大いに書き改めたため、分量もふくらんでいる。 私のような年になっても、毎年のように好きな外国や国内を歩いていて、ホホー、知らなかった、ということが多い。知らない土地、知っている土地でも、小さな発見や大きな知見に気づかされることが多い。私は、まったく新たなところに行くことも好きだが、再度同じところに行くのも大好きである。帰ってきて、いろいろ資料を反芻していると、ここを確かめておきたい、ここを見ておきたい、ということが必ずあるからである。 題名のことだが、原題は「科学史の街角」であったが、本書では、「街角の科学史」になっている。主語と形容句が入れ替わったのだから、たいへん、とは思わない。「街角」に力点があるからである。街角は、気取らない、堅苦しくない、要するに普段着感覚、という意味である。さらに驚きの出会いも、期待できよう。そういう気軽さで、日本国内や世界の各地で出会った気になる話、面白い話、耳よりの話、ためになる話、偏見だらけの話、暇つぶしの話、くだらない話などを、十分調べた上で、書き留めたものである。科学史は私の専門領域になっているが、ホントは科学史などといわなくてもかまわない。そういうレッテルはどうでもよい話である。といって雑学をひけらかすつもりもない。 まあ、しかしそうはいっても、人間の習い性というものがある。私は、芸術がホントは大好きで、科学よりも好きかもしれない。そんな私が科学史という学問を目指そうと思ったのは、大学二年のときで、そうしないと、たぶん自分は、科学の世界と双曲線をなして遠ざかっていってしまうだろう、と思ったのである。好きなことは放っておいてもやるが、それほどでもないが重要な分野となったら、義務感をもってしてもやらねばならない、そう思い定めたものである。それ以来、新聞社や出版社に入っても、大学に移っても、ずいぶんいろいろなことはやったが、結局、腰を据えて科学を軸に、その歴史、文化、社会、思想、哲学の諸問題に取り組んできた。科学者でないから科学研究はしないが、科学についての勉強、メタ・サイエンス、である。おいそれと、片手間でやれる問題ではない。 でも、その合間に、いろいろ呟きたい問題、気になる話題が溜まってきた。科学の分野を掠めるかもしれないが、ときにははみ出すいろいろな知見である。これを自由に吐き出す機会が、新聞への無作為な定期寄稿であったのだから、有り難い話である。それでも、並べられた目次を見ると、自分のこだわりが、はっきり自分にも見えてくるのだから愉快である。ギリシアにこだわり、中国にこだわり、アートにこだわり、人間にこだわり、面白さにこだわる。 そんなわけで、本書に収めた話は、どこからでも、気軽に読んでもらえれば有り難い。
監修者からの一言:いまアインシュタインLOVE展を全国展開中ですが、アインシュタインが日本に来た当時の新出資料も発掘され、写真その他多数載せました。私の前著『アインシュタイン・ショック』(全2巻、岩波現代文庫)を補う「本で見るアインシュタイン展」になっています。
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