東京新聞文化欄

オリ－ブ山の展望台から、谷の向こう、黄金のモスクが輝く旧都エルサレムを見ていた。頭上にはカササギが舞う、晴れた冬の一日。ここ聖都は六回目、一七年ぶりの訪問である。私は、ヘブライ大学前学長に会って、いま話題のニュートン神学資料を拝見してきた。
ここオリーブ山は、イエスが過ぎ越の祭りに弟子たちと最後の晩餐を終え、ゲッセマネの園で祈り、十字架での死を覚悟した聖なる場所でもある。
近くの斜面に新しい墓地が広がっていた。世界中の金持ちユダヤ人が競って納まる等身大の赤茶けた石棺が、みな足を谷に向け整列している。いずれハルマゲドンが起き、メシア（救世主）がこのケドロンの谷に現れて、黄金の城門から入って、最後の審判が行われる。そのとき、死者たちは直ちに起きあがり栄光の救済に与ろうというのだ。しかしその神殿域はいまイスラム教徒のものである。彼らの石棺も向こうの山腹で谷に向かって並んでいる。だからメシア出現のさい、死者たちは、谷を挟んで鉢合わせするはずである。
その地球壊滅と再生がいつ起こるのかが、世界中の一神教徒たち共通の大問題である。ユダヤ教のヤハヴェ、キリスト教のエホバ、イスラム教のアッラーも名こそ違え、同じ唯一の絶対神である。その時を、微積分を考案し、光学理論を極め、万有引力を発見したイギリスの大天才、ニュートンが、ずばり西暦二〇六〇年、わずか五十数年先の二一世紀中に起こる、と大予言をしていた。この文書が、二〇〇七年夏になって、エルサレムの新市街地の丘にある国立文書館兼ヘブライ大学図書館の一角で、初公開されたのである。
文書は、ニュートン自筆の家系図からソロモンの神殿考を含む五八点。赤茶けた紙片にペンとインクの、いかにも神経質そうな細かな字である。多年にわたる神学研究の抜粋の束で、そこに、イエスの再臨と反キリストの敗北を示す二〇六〇年文書も含まれていた。
当時の予測では終末は一七世紀末とされていたが、ニュートン一人、われわれが生きるまさに二一世紀に来る、と計算したのである。これは、ハルマゲドンが「背教の始まりの日」から「一期と数期と半期」後に来る、という旧約のダニエル書や新約のヨハネ黙示録にもとづく。その予言の期間は、年代同定原理によって「一年と二年と半年」と見立て、計三年半、つまり一二六〇日。さらに神の一日は人間界の一年に当たるから、一二六〇年となる。問題は「背教の始まりの日」がいつか、である。大方は、テオドシウス治世の西暦四〇〇年頃とし、それから一二六〇年を経て終末は、一七世紀中頃か末と見ていた。しかしニュートンは神学研究を重ねて、最大の背信行為は西暦八〇〇年のクリスマス当日、教皇レオ三世がフランク王カール一世にローマ皇帝の冠を授け、ローマ教会の皇帝とした時、として算出した。カール一世はカロリング・ルネッサンスの花を開いた大帝である。
一九三六年のサザビーズで、二種のニュートン秘密文書が落札された。イギリスの有名な経済学者、ケインズ文書（錬金術関係）ともう一人の東洋学者、アブラハム・シャロム・ヤフーダ文書（神学関係）である。ケインズ文書は私も精読したが、ニュートンの錬金術研究には、万有引力のような物質間の力を解き明かす意図があったと思う。神学研究のヤフーダ文書はヘブライ大学に寄贈されたが、一部の研究者以外には闇に包まれていた。
ニュートンは、文書「キリスト教神学の哲学的起源」で、イエスを神とする三位一体論（父なる神、神の子イエス、聖霊の三位、トリニティを同質と見る）を「迷信」とし、偶像崇拝に陥ったローマ・カトリック体制を「背教」と非難している。ニュートン自身は、イエスを神でなく、絶対的な神と人間との聖なる仲介者とみなすアリウス派（四世紀の異端派）であった。しかし一六七五年には、聖職特免のフェロー職であるルーカス教授職に任命されて、三位一体の牙城であるトリニティ・カレッジで異端信仰を生涯、隠し続けた。
ニュートン展担当の女性哲学者イエミナ・ベンメナヘムさんは、パネルを示しながら、にこやかに、ニュートン文書が「古代と現代、科学と宗教、合理と非合理という二分法の再検討を迫ります」といった。そしてニュートン像の書き換えも、また始まることだろう。