科学の名著を繙きながら、四つの側面、科学の歴史性、科学の知的態度、生命論の現在、科学の社会的責任、約めていえば、科学の歴史・思想・生命・社会を考えることにする。 いったい科学はいつどのようにして成立したのか、大問題だが諸説ある。
十六・十七世紀科学革命期に西欧の一角で近代科学が誕生したと考える正統派は、バターフィールドの『近代科学の誕生』(講談社学術文庫、絶版)以来 数多 い。クーンの『コペルニクス革命』(常石敬一訳、講談社学術文庫)、ベーコン哲学を位置づけたロッシの『魔術から科学へ』(前田達郎訳、みすず書房)、魔 術を再評価したウェブスターの『パラケルススからニュートンへ』(金子務監訳、平凡社)、力概念を追求した山本義隆の『磁力と重力の発見』全三巻(みすず 書房)。懐メロに近い広重徹・伊東俊太郎・村上陽一郎の共著『思想史のなかの科学』(木鐸社、麗澤大学出版)もよい内的な思想通史である。
外的社会史に注目したものでは、科学と技術の制度化を論じたカードウェルの『科学の社会史』(宮下晋吉他訳、昭和堂)、古川安の『科学の社会史』 (南窓 社)や女性史の立場から問題提起したシービンガーの『ジェンダーは科学を変える』(小川真理子他訳、工作舎)、十七世紀科学・情報革命を演出した拙著『オ ルデンバーグ』(中公叢書)等もある。
西欧文明の根幹といえば当然ギリシア思想に行き着く。ケンブリッジの重鎮ロイドの二部作『初期ギリシア科学』『後期ギリシア科学』(山野耕治・山口 義久 他訳、法政大学出版局)は、古典期とヘレニズム期に分けてギリシア人の発想・方法・成果を纏めて定評がある。あわせて廣川洋一の山崎賞受賞記念シンポジウ ム『ギリシア思想の誕生』(河出書房新社)は旧著だが読み応えがある。東西古代科学史では、フランス版でビショの『科学の誕生』上巻・「古代オリエン ト」、下巻・「ソクラテス以前のギリシア」(山本啓二訳、せりか書房)も見逃せない。粘土版や断片にある原テキストの引用・抜粋をそのまま囲みの形で例示 しながら、説明と解釈を明確に分けて展開しているのがよい。古代ギリシアの「科学的精神の道」は、ピュタゴラス的数学化とパルメニデスの言語的理解可能性 を介して、デモクリトスらの原子論者たちによる「世俗化の過程」が必要、という指摘が面白い。
科学史においても西欧中心主義は批判される。非西洋世界の古代中世歴史を探訪して、「古代ギリシアの学問に匹敵」し、時に「それを凌ぐ」という発見 事例 (コペルニクス理論発表百五十年前にダマスカスの時間記録係が見つけていた等)を豊富に盛り込んだ本が、ディック・テレシ著『失われた発見』(林大訳、大 月書店)である。十二世紀ルネッサンス論で、イスラム圏や中国の科学史が見直され、伊東俊太郎の名著『近代科学の源流』(中央公論新社、絶版)などで西欧 中世史が読み直されてきたのも事実である。
しかし世界科学史の構築はこれからである。
『東京/中日新聞』2006年4月9日掲載