対象書名:『生命観の探究』鈴木貞美著、作品社、7,600円(税別)
掲載紙:週刊読書人
年:2007.08.24

 本書は、鈴木貞美氏のおそらくライフワー クの一冊となる大著である。2800枚、A五判二段組で文献・索引まで入れると914頁に及ぶ。生命を第一義にして、生命中心主義(life- centrism)、あるいは生命主義(vitalism)という視点から、「自然科学や宗教、哲学、文芸、美術、日本の武芸」までを含む世界思想史の流 れを取り上げ、「いわば生命観の歴史的・地理的マップ」を描くという野心作である。

鈴木氏は「生命原理主義」ともいっているが、その方法は、生命とは何かを問わず、すべての生命についての言説を比較検討して、共通する原理を新たに原理 とする立場、だという。大正生命主義というかたちで、大正期の文芸思想に共通した原理と枠組みの摘出に成功した氏が、東西の異分野に切り込んで格闘した報 告が本書であるが、こういう原理の有効性は遣い手次第である。それだけの力量、つまり幅広い歴史的教養と深い鑑識力をもって初めてできることで、本書は氏 の底力を証してあまりあるものになった。

「本書は専門書ではない。水準は百科事典などに記されている範囲にとどまる」と卑下されるが、けっして門外漢の議論などと甘く見てはならない。専門各分 野の学者相手に、鈴木ソクラテスが、無知の知として対話してきた実績は大変なものである。本書に自信が溢れているのは、国際日本文化研究センターなどを中 心とする数次の共同研究、積み上げてきた雑誌特集や単行本を踏まえ、かつ、大正生命主義を過去四半世紀にわたって主唱してきた、という背景があるためであ ろう。評者もそのいくつかに加わったが、鈴木氏は、いまや文芸研究者としての枠組みを超えて、学の総合化を目指す有為な思想史家として、その立場を確立さ れたと思われる。

「通説を打ちやぶる議論をそこここで展開する」と宣言するように、指摘鋭く、専門家を問いつめ、評者も教えられた点が多々ある。「闇雲な突然変異」あって の「生物多様性」は生態系の安定とは矛盾するのでは。文化多様性とか言語遺伝子などと軽々しくいうな。交雑種や遺伝子工学で作成した種は新種なのか亜種な のか。「命は地球よりも重い」は政治家のご都合主義から出た格言だ。明治の論客山路愛山や西周らはキリスト教の超越神の性格を掴みそこなった。露伴の「努 力論」は自然科学の知識を動員した道教養生術。「生命主義」の最初の使用者は田辺元(1922年)か。「自然随順」の日本文化論の図式には自然のもろさの 認識が抜けている、等々である。最後の指摘に一言すれば、局所的破壊である「公害」から「地球環境」に論点が移り、人類の使用エネルギーや廃熱問題が自然 エネルギーの変動に響くようになったのは、20世紀後半、60年代以降であり、自然のもろさ認識は意外に新しい、と私は思うのだが。

本書は序説以下、全一二章からなる。12章の表題をあげれば、(1)人間思想と進化論受容、(2)生物学の生命観-20世紀へ、(3)20世紀前半-欧 米の生命主義、(4)前近代東アジアの生命観、(5)自然の「生命」、人間の「本能」、(6)生命主義哲学の誕生、(7)大正生命主義ーその理念の諸相、 (8)大正生命主義の文芸、(9)生命主義の変容、(10)第二次大戦後の生命観、(11)20世紀の武道と神秘体験、(12)新しい生命観を求めて、で ある。これだけの広大な領域を扱い、時間的にも19、20世紀に限らず、前近代東アジアの生命観の章では、それこそ古代神話から中世仏教、近世朱子学、陽 明学、本居らの国学を一覧するのだから、日本思想通史を語るようなものである。とても、限られたスペースで内容を祖述することもできない。

そこで鈴木氏が、あくまでも謙虚に知の共同作業を呼びかけ、提案しているのでそのことを検討してみよう。「それぞれの生命観を、神との関係において、考 えなおしたうえで、目的論と機械論、還元主義と全体論という二軸四極の構図によって分析しなおす」(818頁)という提案である。

おそらくこの方法は、鈴木氏の意図しているエンサイクロペディスト的整理にとって有効であろう。しかし全体論と還元主義の問題一つとっても、生命を直覚 知で捉えるか、分析知で捉えるか、の出発点の違いがまずあり、地図ができても出発点の違いまで解消しうるものではない。また、認識と記憶の問題を、心のレ ベルとエイジェント(心の断片)の結合から理解することを提案しているミンスキーといった人工知能学者は、機械論者かもしれないが還元論者ではなく、目的 的な説明は排除するが、目標は導入可能とする。鈴木氏のいう二軸四極構図という地図も一筋縄ではいかない問題がある。

化学物質にすぎない遺伝子がさまざまな概念を心の中に作り上げることができるのか、犬と猫をさえ区別できる機械は作られていない現状で、いささか評者に とって望蜀の観があるが、それを綴っておくことを許してもらおう。

生命科学の歴史でいえば、ドーキンスやモノーで繋いだDNA中心主義でないもう一つの大きな流れに目配りがあってよい。遺伝子工学のナノバイオロジーま で解説するのなら、エラノス学会でも活躍したスイスの動物学者ポルトマン、生命科学の歴史的再検討を行ったL.L.ホワイト、わが国で比較形態学の独自な 世界を拓いた三木成夫、生態学的視野から今西進化論を唱えた今西錦司といった、ゲーテ的生命観の流れである。これは西田哲学の生命観を読み解くキーワード になるだろう。動物世界の独自な認識構造を読み解いたユクスキュール一人では、いかにも物足りない気がする。

西田哲学の生命観について、鈴木氏は「生命主義哲学の誕生」として、第六章(373-424頁)をあてて、丁寧に解説している。西田哲学理解の上で人を 蹉跌させる用語、絶対矛盾的自己同一の論理も、生命原理から把握できると主張している。私は、西田と裏合わせになっている鈴木大拙の思想を経由して初め て、自力・他力論とともに理解できる話だと思うが、本書ではほとんど大拙に言及していない。大拙の日本的霊性論も、平田篤胤の幽冥界以上に、日本や世界の 宗教的生命観に大きな影響を与えているはずである。これに関連して、生命の根底にある「無意識」の視点が薄いのも気になる。本書でも、前衛美術の生命観と して、シュルレアリスム運動を取り上げ(214-215頁)、ショーペンハウアー哲学で触れている(188-190頁)が、これは枝葉の問題ではないと思 う。

しかしこれだけのスケールで、これだけの素材をこなした鈴木氏の功績は大いに評価すべきである。鈴木氏がいわれるように、生命主義に係わる真の意味での 共同研究が新たに展開できれば、素晴らしい。この著作はその立派な土台を提供している。