対象書名:『哲学者たり、理学者たり-物理学者のいた町』太田浩一著、東京大学出版会、2500円(税別)
掲載紙:週刊読書人
年:2007.12.21

 読んで楽しい旅の物理学史である。私は空 き時間にいくつか拾い読みしてから、関西往復の車中で読了した。旅をしながら読むのも乙なもので、同好の氏に出会った気分である。全16話、フランスが主 舞台で、あとはドイツ、アメリカが少し、時代も19、20世紀中心で、ときに17、18世紀にも飛ぶ。著者の太田さんは理論物理学者だが、文学趣味がよく 生かされており、章題も工夫されている。

その章題の一つ、「哲学者たり、理学者たり」が書名になっている。これは剣豪にして詩人哲学者・物理学者、というよりは、大きな鼻で悲運に泣くシラノ・ ド・ベルジュラックが自分の墓銘碑を読むくだりにある。この章だけがもう一人、シラノの先生でもある、走行中の船の帆柱から物体を落下させる実証実験をし たガサンディー(普通はガッサンディだが、太田さんはほかにも幾人か独自読みをつけている)と二人取り上げているが、あとは各章一人ずつである。

「海外出張のたびに、物理学者の生家や墓を訪ねる習慣がついてしまった」とあるが、本書はその成果だから、喜ぶべきことである。つね日頃、科学史研究の現 場主義を唱えてきた私には、それこそ大事なことだと思う。原著や論文を読むのは当然だが、まず関係史跡を歩いてみることである。思わぬ発見に出会うもの だ。

太田さんも、真夏の墓地で物質波のド・ブロイの墓を探しあぐねたら、墓地番号が母方ダルマイェ家のものだったため見過ごしたなど、探した人には共感でき る話である。「キュリー」の章でも、ピエール・キュリーの生まれたアパルトマンを探しつつ、近くに博物学者キュヴィエの家が残っていて、その同じ家でベク レール(慣用はベクレル)がウランの放射能を発見したことを、そこの銘板で気づき、ピエールの祖父もキュヴィエも同郷であったと告げている。こういう事実 が「トリビア」つまり些細なことだと思う人は、気の毒だが、歴史センスがないのである。歴史の世界を泳ぎ回って、たとえばこういうaha!体験を積み重ね ることで、歴史のセンスが磨かれるものと思う。

太田さんのおかげで、本書からいろいろ学んだ。往復五時間も歩いて、その家をロレーヌ地方の町はずれに探した、天才数学者ヴォルフガング・デーブリーン (デーブリンでよいのでは)は、第二次大戦の前線で自決したが、直前に封印文書を科学アカデミーに送っていた。それが2000年に開封され、ジグザグ運動 するブラウン運動の微積分学を確立したわが伊藤清氏の仕事を先取りするものであった、という。昨年、伊藤氏は第一回ガウス章を受賞されている(本書では触 れていない)だけに、驚きであった。

また、熱量計を考案して熱力学に貢献したトンプソンは、米国最初の技師といわれるボールドウィンと幼なじみだが、王党派だったためヨーロッパに逃れ、ラ ンフォード伯になった。伯爵になったそのわけは、神聖ローマ帝国バイエルン選帝侯マキシミリアン一世(自身科学者でフラウエンホーファーを庇護する話もあ る)の寵臣となっためとか。

残念ながら、本書には索引も参照文献もない。あったほうが読者には便利であろう。エスプリを利かせた文章だが、句読点が少ない気もする。実験室に籠もり がちの科学者や卵たちには、本書の一読を勧めたい。頭を柔らかくし、得るところは大きいはずである。