対象書名:『コペルニクスの仕掛人』デニス・ダニエルソン著・田中靖夫訳、東洋書林、3,200円(税別)、2008年7月刊
掲載紙:日経新聞書評
年:2008.08.24
唯一の弟子の波瀾万丈な人生
旅先で全16章を一気に読む。
時は16世紀ルネッサンス期、専門家のみその名を知るゲオルグ・ヨアヒム・レティクス、コペルニクス晩年の唯一の弟子で師の大業を推進した影の数学者で ある。初の本格評伝。地味そうだが、取り巻く人物に宗教改革のルター、その補佐官メランヒトン、医学革新のパラケルスス、哲学革命のラムス、博物学のゲス ナーと揃い、波瀾万丈な人生60年。原資料を読み解いての人物活写が読ませる。
1543年といえば、国土回復運動でイベリア半島からイスラム勢力が一掃され、わが国に鉄砲が伝来した年だが、コペルニクスの『天球の回転について』 (回転論)刊行で、天動説から地動説へと、宇宙観が変革した年でもある。
師と2年4ヶ月の至福の時を過ごし、刊行を準備したレティクスはこの時ライプチヒ大学にいて二八歳、遠くバルト海近くのワーミアで死の床にある70歳の 師父コペルニクスとともに、本を手にした喜びが怒りに変わる。後事を託したニュルンベルクの編集人、オジアンダーの無署名巻頭言「読者へ」が、太陽中心仮 説は有用だが想像による仮構物、と言い訳していたからである。レティクスはその頁に赤で大きく×をした。
コペルニクスはマルチなルネッサンス人であった。教会参事会員、プロシア全土の名士がかかる名医。貨幣論も書き、「悪貨は良貨を駆逐する」をグレシャム 以前に体系化した。主著『回転論』刊行30年前に、回覧原稿『小論』で太陽中心説の公理を主張していた。 レティクスはルター派の温床、母校のヴィッテン ベルク大学でこれを読んで感激、1540年に『第一考察』を出し、コペルニクス主義伝道の闘士に変貌する。この初版本は、近年、150万ドルの高値で米図 書館が購入した。もう一人の師父である人文学者メランヒトンの導きで、レティクスは各地を遍歴、当代知識人に数学者として認知される。主著『三角形につい て』で三角法の開祖者になり、パラケルスス流医化薬も研究した。コペルニクス死後は、ライプチヒ教養学部長になるも、同性愛や詐欺の醜聞や訴訟で失脚す る。
科学革命を演出した人生の、華やかで哀れな結末である。