対象書名:『カラクリ技術史、捕鯨史(福本和夫著作集第7巻)』こぶし書房、3,200円(税別)、2008年7月刊
掲載紙:週刊読書人
年:2008.09.19
見直される福本文化史観
福本和夫といったら、同じ藤沢に住むよき理解者、いいだもも流にいえば、大正12年の有島武郎、昭和2年の芥川龍之介という二人の死を挟む時期に光芒を 放った、「福本イズム」の提唱者であった。日本的マルクス主義体制である山川(均)イズムを批判して、無産者階級の純化を唱え、日本共産党の再建を図った のだが、いわゆる「二七年テーゼ」によるモスクワからの指示で失脚する。その後の福本の活動を知るものは少ない。が、じつはみごとな日本文化史家に転向し ていたのである。
このいきさつを私もこの著作集で初めて知ったのだが、戦争中14年間の獄中生活で書き上げ、戦後間もない一九四七年の序文をつけた草稿が、35年後福本 氏88歳のときに刊行された。それが本巻に収まる「カラクリ技術史話」である。この中身がすばらしい。
まず、道家思想の列子を手がかりに、中国最古の木偶師いまでいうロボット師の二人の存在、偃師と魯般を指摘し、高名な細川半蔵の『機巧図彙』より半世紀 も前に、わが国最初のカラクリ製作過程を図解記述した多賀谷環中仙の『?訓蒙鏡草』を取り上げて、その翻刻読解を付すことで、歴史に位置づけている。りっ ぱな技術史的貢献である。また、ゼンマイ時計からゼンマイカラクリが生まれる詳細も明らかにして、注目に値する。
福本氏はカラクリ技術「復興」史と呼んでいるが、それはわが日本にも、遅ればせながら、ルネッサンス(人間と自然を再発見する文芸復興期)も啓蒙期(福 沢諭吉・西周・中村正直らが輩出する幕末から明治10年代頃まで)もあったとする福本史観にもとづく。とくに徳川江戸期に、マニュファクチュア(機械制工 業に先立つ手工業的分業を伴う協同生産体制)の発展と商人階級の台頭によって、日本ルネッサンス文化が、寛文初年(1661)から嘉永三年(1850)の 190年間にかけて生まれた、とする福本史観は、大著『日本ルネッサンス史論』(1957年刊、著作集第九巻に収載予定)に詳しい。これなどは『資本論』 以前のアダム・スミスの『富国論』の日本版であるとさえいえる。
とくにその工業化の側面は、本巻収載の「日本工業の黎明期」(工業系の新聞に連載、1962年刊)と「日本工業先覚者史話」(同、1981年)にある。 ここでは鉱山業・製銅・製鉄に始まり、塩田や酒造、ガラス製造、鋳物業、織物業、製紙、製茶、陶磁器業などのマニュファクチュアを人物と合わせて点検して いる。その間に「日本永代蔵」などの井原西鶴物を見直して、稲扱き機の製造過程に言及したり、安田財閥が釘の製造から始まる話など、興味は尽きない。
さらに感嘆するのは、本巻掉尾を飾る鯨組マニュファクチュアの調査報告書「日本捕鯨史話」(1960年刊、1978年再販)である。柳田民俗学の手法を 駆使したケーススタディであった。わが国の捕鯨業は、幕府の鎖国政策・大船製造禁止その他の制約の中で、突取法・網取法・銃砲打ちなどと捕鯨法が変遷する が、沿岸捕鯨と鯨体陸上処理に終始した。しかしその厖大は作業内容は製銅・製鉄に匹敵する大規模な手工業分業工場制を生んだと証言する。「日本捕鯨史話」 は、文献処理も手堅く、図版も豊富で、跋文を寄せた渋沢栄一氏もいうように、「人が躍動している」。福本氏の代表作といってよいだろう。
福本史観は、直線的な唯物論的発展段階説に立つとか、江戸期初期に至る南蛮学の時期が無視されているとか、また、西欧における17世紀科学革命期の意義 をつかめなかったとか、いろいろ問題点はあるだろう。しかし、田口卯吉の影響を受けた一橋系の経済学者、福田徳三を高く評価するなど、西鶴・列子再評価と ともに独学のよい個性があって魅力である。江戸文化再認識の先鋒として、また東西の総合比較研究に立ち、経済史技術史の枠を超えて問題提起したという意味 で、今後評価されていくことだろう。