対象書名:『レッドムーン・ショック』マシュー・ブレジンスキー著、野中香方子訳、日本放送出版協会、2500円(税別)、2009年1月刊
掲載紙:『週刊読書人』
年:2009.04.03

スプートニク大事件の顛末、政治家と技術陣のだまし合い

原題は「昇る赤い月、スプートニクと宇宙時代に点火したライヴァルたち」。人間くさく政治的で面白い。V二号開発とヒトラーの遺産分捕り合戦を導入にし て、米ソ両陣営の冷戦下でなぜ人類初の人工衛星が生まれたか、内外政治家の駆け引きと、だまし合う技術陣の裏幕をスリリングに描き出している。

全11章、序と結、文献をあわせ450頁を超す訳書を手にして、私には感慨深いものがあった。1957年10月4日打ち上げのスプートニクは、「ピー ポ、ピーポ」の通信音とともに、ソ連科学礼讃の幕開けになった。私のジャーナリズム生活もここからスタートし、12年後のアポロ一一号月着陸ニュースを、 記者としてヒューストンから報じた。

読み進んでいこう。

ソ連側の主役は、ライヴァルのグルーシュコを蹴落として、スプートニク打ち上げロケット「R7」の設計責任者になるセルゲイ・コロリョフ。元流刑囚。当 時こんな存在はまったく知られていない。最高機密で、西陣営の情報網も、ソ連のダミー科学者セドフの言動に目をくらまされていた。これも、死後三年目のス ターリン批判で権力を手にした、ハッタリ政治家フルシチョフの演出であった。

一方、追いかける側の米国は、一番手の米海軍のヴァンガード衛星が失敗につぐ失敗。この窮地を救ったのは、元ナチス親衛隊(SS)少佐(死後七年、一九 八四年までの機密事項)ながら戦犯容疑を特赦され、長く米陸軍監督下にいた、ヒトラーのV二号開発責任者、フォン・ブラウン。その協力で中距離弾道ミサイ ル改造型の「ジュピターC」で、翌年1月31日、米陸軍がエクスプローラー衛星を打ち上げる。スプートニクの四カ月後。 その間にもソ連は二号目でライカ 犬を宇宙に上げ、アメリカ人は一様に生命の危険を感じ、生活態度の反省を迫られた。人気凋落の元将軍大統領アイゼンハワーを踏み台にして、救世主ブラウン はディズニー番組などでお茶の間人気を集め、やがてアポロの栄光を勝ち取る巨大ロケット「サタンⅤ」も開発する。これは終わり二章に詳しい。

問題は、どうしてスプートニクなのか、である。コロリョフはしたたかな男だ。単なる「R7」テスト飛行を、大陸間弾道弾ICBMに成功、とフルシチョフ に発表させ、西側諸国を震駭させる。「R7」にはそんな力はない。重さ5トンの水爆弾頭を5つのブースターで8000キロ彼方に秒速七・二キロでぶちこ む、までは正しい。しかしICBMには、正確な誘導装置と大気圏再突入時に核弾頭を高熱から護る熱シールド技術が必要だが、これにはお手上げだった。宇宙 に打ち上げっぱなしの人工衛星なら馬力さえあればできる。初の衛星で米国を打ち負かせる。コロリョフは政府と軍首脳部を説得したのだ。

ソ連が原爆、水爆と開発に成功しても、米国はまだ、「それを詰めたトランクは米国製かね」、と茶化す余裕はあった。ダレスとルメイによる戦略爆撃機網の 重圧と、超高空からの米スパイ偵察機U2に、ソ連の威信は傷ついていた。幻想のICBMでなく、夜空に輝くわずか直径58センチのスプートニクが資本主義 の牙城に大穴を空けることになる。スプートニクは、激しい宇宙開発競争時代の幕開けとなり、軍事情報の必要性から、今日のインターネット社会を現出させて きた。本書は、この大事件の顛末を、ロシア側の資料から証言する貴重な記録である。