対象書名:『宇宙の調和』 ヨハネス・ケプラー著、岸本良彦訳、工作舎、10,000円(税別)
2009年4月10日刊
掲載紙 :『週刊読書人』
天体運動の完璧な調和を求めて、17世紀科学革命の旗手の代表作
本書は、17世紀科学革命の旗手ヨハネス・ケプラーの代表作全五巻の、初の完訳本である。原著出版は、惑星の第三法則発見の翌1619年、30年戦争に 突入直後である。魔術愛好の庇護者ルドルフ二世没後プラハからリンツに去ったケプラーは、旧教スコットランドと新教イングランドの統一ブリテン王ジェーム ズ一世に献辞して、宗教的和解による宇宙と地上の調和を願う思いを込めた。
この表題「宇宙の調和」といい、執拗なまでも音楽理論の解明に力点をあてた内容といい、ケプラーの理論的哲学的意図がどこにあるかは明白である。的確な 訳注を参考にして繰っていけば、宇宙の調和とは、自由七科の実践的分野、算術・幾何・音楽・天文の四教を貫く調和比問題を指すことがよくわかる。
ケプラーは幾何学図形を手始めに、音楽理論の調和論に徹底的に踏み込み、占星術研究を進め、天地の光の調和を吟味してから、終章に至って、これまでの長い 宇宙的調和比論の成果の一つとして、輝かしいあのケプラーの第三法則、「惑星公転周期の自乗は平均軌道半径の三乗に比例する」が示される。第五巻結論の中 で、「調和的整序は単純な幾何学的整序に優る」という言葉で、自分の長い研究史を総括している。問題の第五巻は本書全体の四分の一を占めるに過ぎない。し かし、あの時代のケプラーの思考と時代を追体験するには、まことに希有な証言の書である。
なぜケプラーにとって調和比論が重要なのか。神の宇宙創造過程を調べる手がかりになるからである。
まず、「単純な幾何学的整序」と呼ぶ幾何学が扱う量の特質は形と比にある、とケプラーは規定する。形は個々のものの大きさ、比は二つ以上のものの大きさ の関係、である。グラーツ時代にコペルニクス理論に立って、太陽を回る六惑星の軌道関係を決める造物主の意志から、軌道半径と軌道間隔の比がプラトンの五 種の正多面体に外接内接する仕方で決まるとし、正多面体宇宙モデルを『宇宙の神秘』(1596年)に発表した。それは、本書の基本におかれつづける。しか しティコを師とするプラハ時代になると、ケプラーには、精緻なティコのデータがその「幾何学的整序」モデルに合わないものがあることに気づく。その間、火 星軌道の研究から、面積速度一定の法則(第二法則)と惑星軌道は円ではなく楕円(第一法則)を発見して、『新天文学』(1609年)に発表してきた。
一方で、古くはプトレマイオスの『調和論』、新しくはヴィンツェンティオ・ガリレイ(ガリレオの父)らの音楽理論を徹底的に読破して、音楽調和論を深 め、「可知性」の段階差と「造形性」の観点から、六惑星の軌道速度や大きさなどの調和比を探り出すのである。本書が、弦の調性や音組織、旋法、和声などを 詳細に吟味するのも、「天体運動の完璧な調和」(第五巻の表題)を求める有力な手段と見なしていたからである。ケプラーは、音階の七つの和声関係が作図可 能な正多面体に適用できることを見だしていたが、惑星の公転周期の比などを調べてもうまくいかず、最後に、距離を無視した各惑星の角速度の最大最小値の比 が土星で長三度、火星で完全五度などになることを見いだしている。ティコのデータから第三法則を見いだすのも、神が定めたとする普遍的調和比への確信が あってのことである。
最後に、これだけの原書初訳に取り組んだ訳者と出版社の労に、心より謝したいと思う。