対象書名:ジェームズ・ロバート・ブラウン著(青木薫訳)
『なぜ科学を語ってすれ違うのか』みすず書房、3,800円(税別)
掲載紙 :『東京(中日)新聞』2011年1月23日号
科学と哲学にまたがる病根
科学ってすごいね、というのが大方の見方だろう。予測性・説明力・精確さで、真実一路、並ぶものなき近代化の模範生。ノーベル賞科学者以下科学陣には誇 り高い勲章である。ところが対岸の文化的思想界では、ポスト・モダンのデリダやラカンらを前衛として、価値中立的な客観的実在的真理などなく、あるのは ローカルな視点で相対的真理のみ、科学研究も社会的利害関係抜きなどあり得ない(知識の社会構成主義)と批判してきた。
半世紀前の、スノウが提起した「二つの文化」論争と違って、現代版では、科学技術陣が体制派、文化的知識人が抵抗派に逆転している点が大違いだ。さらに ポスト・モダン派の主要誌に、物理学者ソーカルが1996年、難解な脱構築の戯画論文を投稿、それを見破れずに掲載した編集部がコケにされた。このソーカ ル事件以降、抵抗派は分が悪い。事件に追い打ちをかけて、ニーチェ以来のニヒリストの言い草、と悪罵すればすむ話ではない、と著者が仲裁人になったのが本 書である。もともとポパーの合理的反証主義、クーンのパラダイム論、ファイアアーベントのプロパガンダ論といった科学哲学畑の認識戦争が思想界に燃え広 がって、科学の身分をめぐるサイエンス・ウォーになってきた事情も、手際よく述べる。
ソーカル事件の波紋は、科学と哲学にまたがる両陣営の病根を浮き出させた。量子論とカオス論がお気に入りの思想家たちも科学用語の誤解が多く、基本的な 理解力が疑われる。一方の科学畑は素朴な実証主義を崩さない。著者は、大学の営利化など、社会構成主義の言い分にも十分な配慮と理解を見せる。IQや人 種、ジェンダーやエコ論争などを例示しながら、エセ科学を排し同時に科学理論の多様性、多元主義を強化することが有効だとする。第二のスノウとして、二つ の文化の狭間にある問題点を提起する力作である。