対象書名:アーサー・I・ミラー著(坂本芳久訳)
『137ー物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯』草思社、2,300円(税別)
掲載紙 :『週刊読書人』2011年2月25日号

2人の思想的心理的交錯、量子力学と深層心理学の狭間に挑む

数137は怪しげな素数である。素電荷eと光速cと大きさのプランク定数hという三つの物理定数で記述される原子の微細構造定数である一方、ヘブライ文 字の数価の総和に等しいなど、数秘術のお気に入りでもある。もともとドイツ物理学の父ゾンマーフェルトが元素のスペクトル構造解析で見つけた。本書は、こ れらの数に魅せられた天才物理学者パウリと超心理学者のユングが同時的に交差しながら、量子力学と深層心理学の狭間に共同で挑んだ希有な記録である。すで に邦訳もある共著『自然現象と心の構造』で一部は知られていたが、優れた科学史家が全一五章にわたって博捜し解明したこの二人の、長い思想的心理的交錯 は、20世紀という時代の深層思想を読み解く手がかりをも示していよう。

二人が出会うのは、1932年1月。それまでに注目されるのは、ウイーン学派の父祖で反形而上学の実証主義者エルンスト・マッハの影である。ウィーン生 まれのパウリの代父は父と付き合いのあったマッハであり、その記念にもらった銀製ゴブレットを、パウリは一生大事にした。一方、スイス人ユングが1907 年に19歳年上のフロイトをウィーンに訪ねて、精神分析創立の二人の交渉が始まるが、フロイトの性衝動重視のリビドー主義はマッハ的科学の影響下にあり、 ユングはこのマッハ科学を意識しそれに距離を置いて、畏れと魅惑の感情であるルミノーシスの結節点にある、元型と集合的無意識に立ち向かう。

パウリはミュンヘン、ハンブルグを経てチューリッヒに赴任した。郊外ツォリコンのパウリの家からユングの家まで、わずか二駅である。パウリは、アイン シュタインも自分の後継者と認めた天才だが、相対論と量子論にまたがる辛辣な批評家で、深酒の夜型徘徊人間。ハイゼンベルクの不確定性原理の確立も助ける が、彼が現れると実験道具が壊れるという「パウリ効果」の伝説もある。ボーアの原子模型を批判して、半整数1/2の第四の量子数(やがてスピンと命名)を 導入し、いわゆる「パウリの排他原理」を樹立していた。量子数は三つでなく四つとしたパウリは、17世紀の三を完全数としたケプラーと錬金術の四を重視し た神秘学者フラッドの、三か四かの論争に習熟していた。

一方、25歳年上のユングは「タイプ論」で、心的類型に外向と内向と二つあり、さらに対をなす思考と感情、直感と感覚の四つの機能を明らかにした大家で ある。四その他の数のトラウマや母の服毒自殺を経て、患者パウリがユングの精神分析を受けるのには、運命的なものがあった。ユングは女弟子を通してパウリ の夢から宇宙時計の夢など、400例を取り上げて分析した。ユングのマンダラ図にパウリが手を加えたマンダラ図も遺っている。ユング通いは、再婚した妻の 主張で中断されるまで、5ヶ月つづいた。

ユダヤ教徒になっていたパウリは、ナチス・ドイツからアメリカに脱出、1945年のノーベル賞受賞後、チュウーリッヒに復職して、ユングに再会、女弟子 フォン・フランツとの出会いがある。「イメージ形成は意識と無意識の同等の関係を回復するのに有効」とするユング派の思想が、パウリ晩年の、物理学の根本 的対称性の回復を告げるCPT定理の確立とも暗合する。137号室で死んだパウリの夢、「ピュシス(自然)とプシケー(心)を同じ現実の相補的側面と見な したい」という願いは、また現代の課題でもある。