対象書名:ウォルター・アイザックソン著(二間瀬敏史監訳、関宗蔵・松田卓也・松浦俊輔訳)
「アインシュタイン、その生涯と宇宙」上・下2巻 武田ランダムハウスジャパン刊、2,000円(税別)
掲載紙 :『東京(中日)新聞』2011年8月21日号文化欄
アインシュタイの伝記は数多い
しかし科学から政治・私生活まで、多岐にわたる天才の人生を包括するモノは少ない。本書は76年の生涯を全25章に分け、目新しいエピソードも盛り込ん だ年代記である。熟達したジャーナリストの筆致と、著名な専門家たちに助言やチェックを頼むという用意周到さで、避けて通れない科学記述の多くも無難であ る。1905年のアインシュタイン奇蹟の年(特殊相対論など三大論文の発表)には、ポアンカレもローレンツも十分近づいたのだが、アインシュタインのよう には、従来の思考(先入観)を投げ捨てるだけの勇気と反抗心を持ち合わせていなかった。
この型破りな態度は彼の人生の諸段階にも発揮される。ギムナジウム中退の決断、大学への就職活動の失敗、学生仲間との結婚、婚前誕生した女児リーゼルの 運命は本書でも不明だ。アインシュタインが最初の妻と離婚し、年上の従姉エルザと再婚するさい、アインシュタインがその連れ子の長姉イルゼとの結婚も考え ていたことを示唆する驚くべき書簡が出てくる。イルゼの宛先は、女癖の悪いベルリン大学医学部講師ゲオルク・ニコライ(ニコライ・アインシュタイン反戦宣 言で知られる)宛てだから、男の気を引く細工だった可能性もある。再婚後も女性関係に忙しい。代々の秘書や金持ち未亡人たち、エルザの悩みは尽きない。じ つは、訪日旅行に発つ9月に、ノーベル賞受賞の件をスウェーデン当局から知らされていた。戦後イスラエルの二代目大統領就任の打診は頭から断ったが、断ら れた首相もほっとしていた。
本書で残念なことがある。1922年、半年にも及ぶ訪日アジア旅行はアインシュタインにとって世界市民意識の確認につながる契機になるものだが、この記 述がわずか一頁で片付けられていることは、旧来のアインシュタイン伝でも見られぬことである。