愛蔵書といったら、多少とも高価な美麗本になるかもしれないが、ロンドン古書店で、昔求めたユアーの『技術・製造・鉱業百科事典』全三巻ぐらいしかない。
幕末期の西欧産業技術を知るには絶好の、1860年改訂増補版。2000枚に及ぶ小口木版図を繰るだけで、往時を堪能できる。重装丁のせいか、阪神大地 震の時、研究室の書架から飛び出して、一部破損してくれた苦い記憶もある。
しかし若いときから繰り返し読んできた書物になれば、いろいろある。なかでも、人生の意味を教わった『戦争と平和』と『カラマーゾフの兄弟』が双璧。ド ストイエフスキーは最近亀山氏の名訳が現れているが、自分のものは古い米川正夫訳の岩波文庫本で、半世紀に及ぶ赤青インクや鉛筆の書き込みがある。
とりわけ、例の「大審問官」の場面が、科学思想史上も見逃せないのである。荒野のイエスが、悪魔の三つの試しを、いずれも、神を試さずとして退ける。し かし退けたはずの奇蹟と神秘と教権に立つのが神の代理人である法王庁だ、と、この劇中劇で痛罵する。しかしこの痛罵は私の胸にも突き刺さる。「石をもてパ ンになす」のも、「高所から飛び出す」のも、はたまた「地上を巧みに管理する」のも、実は科学技術の目指すところではないのか、と。遺伝子工学や宇宙航空 安全工学、温暖化防止技術も、この悪魔の類になるのではないのか。イエスは、天上の火を盗み、地上のパンどころか新DNAの創成にも手を染める科学技術を 斥けるのか、と。イエスは、けっきょく、焚刑にしようとして捕らえた大審問官の問いに、無言の口づけを与えて、16世紀セヴィリアの巷に消えていった。
同じく、われわれの問いにも答えまい。私は、地上の人間の一人として、この、科学技術の性格を考える上で、重い問いを発しつづけよう。
もう一つ、別系統の愛読書に三木成夫の『生命形態学序説』を挙げたい。三木の思想には生前、中公新書版で出た『胎児の世界』で触れた方も多いと思うが、 私自身、両書の企画や誕生に深く関わり、没後刊の前者には私の解説も載せた。
三木の思想が重要なのは、多年にわたる比較解剖学、鶏卵の実験発生学や人間胎児の顔貌観察などによって、ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」と いうテーゼを実証し、「生命記憶」に内実な重みを与えたこと、また、植物的なる構造が、われわれ動物器官の内部に埋め込まれていて、地球・太陽系の環境と 深く関わること、を教えてくれる点にある。新書版では見られない大きな美しい図版とあわせて、21世紀思想を展開する上で、力強いテコになる書物である。
2008年3月2日 東京新聞・中日新聞「読書欄」掲載