群発地震に今昔を想う
九州の地震被害が広がりを見せている。痛ましい限りだ。活断層の連鎖反応による群発地震だという。最大震度7もきついが、震度5や6も連発は恐ろしい。いったい、いつ終わるのだろう。この半月で、死者行方不明50人、建物全壊1700棟、避難民は4万8000人余という。
友人で島原出身の宗教学者植木雅俊氏から、「熊本地震に伴う島原の眉山崩壊・津波が心配」と言ってきた。熊本の対岸、40キロ先の島原も最大震度5強の地震が相次いでいて、島原背後の眉山が山体崩壊して起きた津波で対岸の肥後(いまの熊本県)を襲い、計1万5千人の死者を出した、あの「島原大変肥後迷惑」を想い出すというのだ。江戸寛政期、200年以上前の1792年(寛政4年)5月のことである。なんとも人間の無力さを思い知らさせられる自然の猛威だ。
群発地震と言えば、小生が記者時代にキャップになって取材し週刊誌の別冊に纏めた、松代地震を覚えている。昭和40年から5年間、長野県松代町(現長野市)の皆神山を中心に、世界にもまれな長期群発地震があったのである。震源は今回同様浅く7キロ程度、規模は小さく、それでも震度4や5の連発で、取材中体験した震度5は、下からドーンと突き上げられる感じだった。墓石が倒れたり瓦が落ちたりしたが、死者は出なかった。一時は北信濃一帯に広がりを見せていたが、大事に至らなかったのは幸いであった。
このとき、松代大本営跡の壕奥深くに、大地の傾きを測定する水管傾斜計が初めて設置されたのを想い出す。萩原尊礼東大地震研所長が考案した自慢の新兵器で、水を入れたガラス管は長さ10メートル余もあったろう。これが地震発生数時間前の地面傾斜を検出して、大いにその活躍が期待されたものだ。こうして本格的な地震予知事業が始まったのだが、それからすでに半世紀、予知はいまだ困難である。
松代地方の皆神山は、その形が当時TVで人気のオバケのQ太郎によく似ていたが、今もこの地震源は正体不明のオバケのままだ。松代には真田家の墓所もあったから、真田人気の今ともつながる話である。
(金子務記2016.04.26)
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