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金子務の科学史の街角 第1号 2006年1月31日(予定)
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□目次
■金子務の科学史の街角 第1号
■近況報告
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■金子務の科学史の街角 第1号
「台北のハイテクビル」
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旧正月前の台北はなま暖かい空気に包まれていた。改修中で一部公開の故宮博物院に回ってから、午後遅く、国父(孫文)記念館に出た。広い回廊で、中年の男女二組がダンスをしている。ここから、「台北101」ビル(台北国際センター)がよく見えた。一〇一階建て。高さ五〇八メートルで世界一。伸び上がる「竹」をイメージしたというが、重箱を逆さに八層重ねた形。数8は「発」に通じて縁起がよい。台北新都心の新義区に二年前に登場し、横浜のランドマークタワー(二九六メートル)はもとより、マレーシアのツイン・タワー(四五二メートル)を軽く抜いてトップに躍り出た。
熊谷組が台湾の地元企業と共同企業体を組んで施工した、日台技術協力のハイテクビルである。
行列に加わり入場券を求めて上ってみた。
地上八九階の展望台まで、東芝製の世界最速エレベーターでわずか三七秒。耳詰まりを防ぐ気圧調節付きとか。夕闇の町の灯が眼下に瞬いている。展望台の吹き抜け部には、球状マスダンパーの頭部が見えた。直径五・五メートル、六五〇トン、上から八本のケーブルで吊り、強風時の横揺れを防ぐ。耐震設計も万全、杭を五四七本も打ち込み、深さ四〇、五〇メートルまで連続地中壁を巡らせてある。
展望台の音声ガイドに耳を傾けながら、昨日訪れた台湾大学二号館にある四〇畳ほどの核物理実験記念室を思い浮かべた。台湾は新旧のハイテクに似つかわしい。戦前の旧総督府時代、同じく日台協力で造った加速器を、二年前に復元している。
英国のコッククロフトらが、一九三二年直線加速器を開発した。粒子を高電圧で加速し原子核にぶつける装置。日本でも阪大と台北帝大がその建設に動く。台北は大正一五年赴任の荒勝文策教授の日台グループが、業者に丸投げせずに地道に手作りした。線源には、台北北部北投温泉の放射能岩からポロニウムを抽出し、放射線のアルファ粒子を加速する。一九三四年には日台初の実験に成功し、台北帝大の名を高めた。やがて荒勝教授は京大に呼び戻される。戦後台湾大学に名が変わったが、一九四七年、残留した太田頼常教授に許雲基助教授や技師ら台湾側が協力して、再度加速器を組み立て、重水も自製して実験を続けた。パネル壁写真の人々が、物言わぬ装置を見守っていた。
※「科学史の街角」は公明新聞に1月から1年間、毎週日曜日に連載するものです。